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      「自分」という理想を追い求めて

      きっかけのチカラ vol.9 「田中伸弥」

      「きっかけのチカラ」は、おとなラグビーコミュニティーに関わる方へ向けて、ラグビーの魅力を発信するコラムです。きっかけのチカラ vol.9 は、リーグワンDIVISION1、三菱重工相模原ダイナボアーズ(以後、重工(*1))OBの田中伸弥選手。2023-24シーズンを最後に退団とラグビー選手としての引退が発表されました。大学時代に発症したがんを乗り越えプロ選手となり、さらに再発しても立ち上がりラグビーに取り組む田中選手の等身大の姿に近づきたくてお話を伺いました。

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      ーー 改めまして、先週の花園L戦(*2)お疲れ様でした。試合が終わって4日くらいたっていますが、今思うことを教えてください。

      試合がすごく楽しくて「これは本当に終わっていいのか?」と思うこともありました。自分では覚悟をしていたつもりでしたが、これでもう本当に終わりだけど、終わっていいのかな、と。「終わりかぁ」というふわふわした感じと「これでほんまに終わったんや」という寂しい気持ちがありました。

      ーー 花園L戦のメンバーに入ったことを聞いたときは、どう感じましたか。

      ホッとしました。1か月位前からずっとこの試合を目指してきました。自分のコンディションを考えたら出場できるのはシーズン後半だと考えていたし、試合が地元の大阪だったので、この試合には出たかった。その想いを監督に伝えると、「もちろん考えている。それ(出場させること)は理想だけど、ヘッドコーチとしてベストなメンバーを選びたいから分かってくれ。」と言われたうえで、心肺機能の部分の不安を指摘されました。そこからは、厳しい練習の後にも走ったり、トレーニングバイクで追い込んだりと、さらに心肺機能を強化するトレーニングをしました。
       

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      ーー 試合には後半20分から出場します。

      あのタイミング(後半20分の時間に出場したこと)が一番よかったです。

      ラスト20分で点数は3点差で勝っている場面で、監督の立場からしたら、信頼して任せられる選手しかと出せない。重工の場合は、特に信頼がすごく大切です。戦略的なリザーブは出しますが、例えば出ている選手が怪我をしても選手交代しないことがあります。それが分かっているので、あの場面での出場は感情で出してくれたんじゃない。自分がラグビー選手として認められたことに価値がありました。

       

      ーー 出場した20分間で一度もボールに触っていませんよね。そして密集に入る回数が多い。

      そうですね。重工は、ゴール前では近場にボールを渡して進みます。この試合はゴール前でのアタックが多く、密集に入っている回数が多かったように見えるかもしれません。自分ではもっとタックルしたかったので、そこは悔しかったというか、本当はもっとやりたかったです。でも、最後は勝ててよかったです。

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      ーー 自身でボールを持たなかったことは、どんな意味がありますか。

      監督からは「伸弥はチームの中の一人や」と言われていました。俺がメインじゃないというか、15人の中の1ピースとして自分の役割をやる。例えば、相手が攻めているシーンで、自分がラインで敵との距離を詰めると相手がパスをします。それは、自分が前に出たから相手はパスを選択せざるを得ないということなので、細かいけれど重要なプレーです。重工はそういうところをちゃんと評価するチームで、小さいことでも自分の役割を果たしている人が試合に出ています。

      上のチーム(公式戦のチーム)はメンバーがほぼ同じなので、15人の中で自分の仕事を毎回コンスタントにやり続けている。だから、上に居続ける人っていうのは、ある意味で楽なんだと思います。というのは、求められていることをやり続けるだけだから。役割が明確になるから、やること/やらないことが明確です。

      これが最後になって分かったのは悔しいです。でも、気が付けてよかったと思います。やることが明確で、評価されないことはやらない。

      そういえば、高校の時のこんな感じだったんですよね。

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      ーー 高校・大学と一般社団法人Joyntの代表である喜連さんとプレーされています。

      同期には岡田(現:トヨタヴェルブリッツ岡田優毅選手)とか吉田(現:三菱重工相模原ダイナボアーズ吉田杏選手)、喜連など、有名で体も大きい選手がたくさんいました。自分はタックルは得意でも体が小さかったので、体を大きくしようと必死でした。タックルや運動量で勝負して、他の選手と違う”いいスパイス”になればいいと地味な仕事をやってきました。監督からも「ボールを持つな」と求められることが明確に言われて、仕事を果たせば認めてもらえる環境にあって、自分の力を伸ばしてもらったと思っています。

       

      一番濃かったのは高校3年生の時です。毎日が結構セレクションのように見られていました。その中で日々ちょっとでも前でゴールする、とかこだわってやってきた。そのいうのを毎日積み重ねることも大事だし、先生もちゃんと見てくれているし、気を抜いたらすぐにばれる。自分に向き合ってチームに向き合って積み重ねることがすごく大事だと学びました。

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      ーー 大阪桐蔭高校卒業後は、喜連さんと共に近畿大学に進学されました。

      花園(全国高等学校ラグビー大会)で負けてから大学に練習に行くまでは、燃え尽きたというか、いったんラグビーやウエイトトレーニングから離れていました。大学で練習に参加したら、先輩は思ったよりも強くて「このままだとちょっとほんまやばい」と悔しくて、もう一度体作りを徹底してやりました。

      最初は出られませんでしたが、だんだん必要とされる状況でラグビーができるようになって、楽しくなってきました。そして、楽しいからもう一度頑張ろうとなりました。

      最前列に立った気持ちも、皆を支える側の気持ちも両方経験できました。人の気持ちが分かったのは自分としては大きいです。

       

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      ーー 4年生の関西リーグ最終戦から入替戦に回ることが決定し、その直後に病気(はい細胞腫)が発覚します。

      前から「なんかちょっとおかしい」と思って自分で調べていました。絶対病気ってわけでもないと思うし、一方でやっぱり怖くて。

      分かった時は頭が真っ白になって、あんまり記憶がありません。泣く暇もないし、涙も出ないくらい唖然として、何がなんだから分からない状態でした。当時はもうラグビーもどうでもいいってくらい辛かったし、死ぬのが恐怖で、毎日「生きたい」って思っていました。みんなが外を普通に歩いているのを見るだけで羨ましかったです。

      今でこそ、自分の病気がどういうものか分かりますが、当時は何も分からないまま治療をしていました。おそらく担当の先生は、自分が怖がるだろうと思って、病気のことの1割しか話していなかったと思います。でも、いろいろな数字が目に入ってそれで怖くなって携帯とかで調べていました。でも、腫瘍マーカーの数字とかも言われて、調べても分からないから、受け止めているようで受け止めていない感じでした。

       

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      ーー当時は大学4年生で、すでに重工への入団が決まっていました。

      最初はいろいろありすぎて、ラグビーどころではありませんでした。大学も卒業できていないし、これからことも、ラグビーのことも考えないといけなくても、どこに手を付けていいかわかりませんでした。

      僕が来るのをずっと待っていてくれた重工には感謝しかありません。自分がやりたいといっても、環境がないとできないから。その環境を作って待ってくれていたのは本当にすごいです。

       

      ーー 厳しい治療の生活の中で、どのようにして徐々に前を向いてラグビー界に戻ってきたのでしょうか。

      最初から先生には治療は長いと言われていたから、前を向くと言うよりは、とにかくその場を耐えて、ちょっとでも楽しいことがあればいい。お見舞いに来てもらって、人と話してちょっと病気のことを忘れられたとか、何か1つでも良いことがあればいいとしか考えていませんでした。本当に治りそうだとわかるまでは、ラグビーのことは考えられませんでした。

      入院していたのが、大学終わって社会人になる前にみんなが旅行とかに行くのが楽しい時期。ちょうどクリスマスやお正月の頃でした。「もう自分何してんねん」と、とにかく入院生活が嫌すぎました。

      抗がん剤治療して7月に手術をしました。治るまでは生きることで精一杯でしたが、治ると分かったときに子どものように、「治ったからやる」「やりたいからやる」とラグビーをやりたい気持ちになりました。もちろん重工が待ってくれていると言うのもありました。そこに向けてラグビーをやりたくなりました。

      退院後は大学でトレーニングをして、次の4月に1つ下の世代と一緒に入団しました。トレーニングに戻ることができた最初は本当に楽しかったし、嬉しかったです。まずは普通の生活に戻れたことが何もかも嬉しかった。ラグビーを始めたころの自分みたいな感じでした。
       

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      ーー 入団してみて、重工はいかがでしたか。

      僕自身、ラグビーという競技は多分そこまですごく好きなわけではないと思っています。でも、チームで何かをするのが好きです。だから、環境が用意されていなかったらラグビーをやっていなかったと思います。「俺でいいの?」と思いましたが、断る理由もなかったし、何かそこでできることがあればやろうと思っています。

      プロなので、楽しいと言っても仕事だから、学生の時とは違う楽しさです。プロのプレッシャーを感じながらリラックスもして、練習ではそれに打ち勝っていく楽しさがあります。

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      ーー 入団して2年余りでがんが再発しました。

      退院してからも定期的に検査をしていました。3年位はなんともなかったのですが、3年経って再発しました。さらに一度治ってからすぐに再発しています。

      病院の中でもトレーニングをしていましたが、トレーニングをしても体力が落ちることは分かっていました。それは、「もう考えても意味ないし、とにかく前に進もう」と、意味はないとわかっていても関係なくて、気持ちを保つための開き直りでした。

       

      ーー 闘病生活を改めて振り返ってどうですか。

      振り返っても「病気になったから今がある」では絶対ないんです。大学の時から考えても、何もなかったら絶対プレーできている自信はあるし、そのまま進んでいてプレーして試合に出て、チームにもコミットする自信があった。だから、「病気になってよかった」とは全く思っていません。辛いことしかないし、もう一回やり直せるなら、絶対にそっちの道(病気がない道)を選ぶけど、当たり前だけどそうじゃない。

      「なったものは仕方がない」けど、理想の自分ではない。だからもう一回理想を作っていく。ただ、そこにも葛藤がある。今から何ができるか、まだ成長できるとか。毎日葛藤です。

      もう28歳で、経験を積んでいないといけない年齢です。大学の同期が50キャップです。それが理想としたら今の自分はかけ離れています。この状況を自分なりのどう楽しめるか。今の自分で何ができるか、自分の中でもう一回理想を描いています。

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      ーー 田中選手の前を向くパワーはどこから来るのでしょうか。

      リアルで言えば、何回も現実から目をそらしています。「ラグビーするために頑張った」なんて、カッコよくありません。

      「応援してくれる人のため」っていうのはきれいだけど、やっぱり結局は「自分がどう生きたいか」という意地というか、もう一人の自分が「なんかもうこれでいい?」…そんな自分の気持ちに勝ちたい。そこに家族とか応援してくれている人に、絶対にプレーをしている姿、試合に出ているのを見せたいというのが、モチベーションの1つとしてあったのは間違いない。でもその中でもやっぱり自分に対して満足できない、というのが一番にありました。

      病気をしていなかったら、自分がラグビー選手としてみんなが理想とするような選手、初キャップ取ってその後も試合に出て…という未来を描いていました。でも、そこは無理なので諦めました。この年齢で経験もなく、一方で若い選手がどんどん試合に出ています。正直自分はもうそこ(理想とするような選手)はあきらめている、というか違う形で自分として輝けたらいいと思っています。ベンチで応援している日も「去年の今頃はベッドの上だったから、前進している」と、自分なりに自分の物差しで測ります。例えば、今寝たきりの人だったら、歩けたら成長と言えます。昔は走れたかもしれないから、葛藤はあると思うけど、そこはそこで歩くことができたら喜んでほしいと思います。そんな感じで一つ一つできることが増えたら、自分を褒めてほしいです。

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      ーー 改めて、選手生活お疲れさまでした。これからやりたいことはありますか。

      これまで人よりもトレーニングをすごくやってきたから、トレーナーとしての知識があります。ラグビー選手からトレーナーになる人ってあまり多くない。でも、ラグビーとトレーニングはすごく密接です。経験的に自分でやってきて、トレーニングをラグビーにどう繋げていくかというのは自分が一番分かっていて、自分の強みだと思っています。
      大阪を拠点にしたいので、大阪のチームでS&Cコーチとかできたらいいと考えています。

       

      ーー ここまで走り続けてきて「休みたいな」とかありませんか。

      試合終わったらゆっくりしたいなって思っていたんですけど、結局、1週間たたないうちに動いています。ゆっくりするのがあまり好きじゃないようです。落ち着かないっていうか、3日くらいゆっくりしたらもう動きたいな、と思いました。なので、結局3日くらいしかゆっくりしていません。

      食事も(試合が終わって)3日くらいはファーストフードとかいろいろなものを食べました。それはそれでおいしかったけど、「もういいわ」って思っちゃいました。飽きたわけじゃないのでが、これを続けるのはちょっとあかんなって思って。3日くらいたったら、ラグビーやっている時と同じクリーンな食事に戻りました。

       
      自分ってこういう人間なんだと思います。

       

      ■

      ゲストスピーカー:田中伸弥

      1996年2月15日大阪府生まれ。NTTジャパンラグビーリーグワン·三菱重工相模原ダイナボアーズ(相模原DB)の元選手。現役時代のポジションはフランカー。
      兄と友人の影響で中学2年生からラグビーを始める。高校は大阪桐蔭高校でプレーをし、3年次には花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)でo大阪桐蔭高校初のベスト4に貢献する。卒業後は近畿大学へ進学、関西大学Aリーグで活躍する。大学4年生時にがんを発症、決まっていた相模原DBへの入団が中断され治療に専念する。抗がん剤と2度の手術による治療により回復し、2019年に相模原DBに入団する。2022年にはがんを再発するが、再度の治療からの復活を経て、2023-24シーズン最終節花園近鉄ライナーズ戦に出場しリーグワン初キャップを果たす。その後、シーズン終了とあわせて引退。現在はストレングストレーナーとして活躍中。


      ●筆者のつぶやき

      がんの宣告から手術、苦しいリハビリを乗り越えて復活。再発からもラグビーに戻りました。

      インタビューではその日々を「テレビみたいなきれいなことばっかりじゃないんです。」と嬉しいこともも苦しいことも、良かったことも嫌だったことも真っ直ぐに語る伸弥さんに出会いました。

      メディアで見て読んでいた姿よりも人間らしく親近感もありつつ、努力家で目標に向かってひたむきな姿に尊敬の念をいだきました。ありがとうございました。

      ________________________________________

      (*1)重工

      三菱重工相模原ダイナボアーズ。「ダイナボアーズ」と記載されることが多いが、本記事では田中選手の言葉に合わせて「重工」で統一。

      (*2)先週の花園L戦

      2024年5月5日に開催された、NTTジャパンラグビー リーグワン2023-24 ディビジョン1 第16節 カンファレンスB 花園近鉄ライナーズvs.三菱重工相模原ダイナボアーズ戦。田中選手はリザーブでベンチ入りし、後半20分から出場した。

      (取材日:2024年3月17日、5月16日)

       

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